みんなであそぼう!ゲームランド

【夢を叶えた人のあの頃】

ラーメンズ片桐仁さん「実は子どものころはパン屋さんに憧れてました」

2012.08.08

ラーメンズ片桐仁さん

一回見たら忘れない風貌の個性派俳優、シュールなコントを演じるラーメンズの人、
教育テレビの奇っ怪なキャラクターの人、普段は良きパパっぽい人……。

人によってコロコロとイメージは変わりますが、そんな片桐さんをかたちづくる大事な要素は“遊び心”ではないでしょうか。
遊び心や夢を大事にしたいWEBマガジン「モッチャ!」としては、オープンにふさわしいゲストとして片桐さんにお話しを伺いました。

【片桐仁さんプロフィール】
1973年埼玉県生まれ。コメディアン、俳優。多摩美大在学中、同級生の小林賢太郎さんとお笑いコンビ「ラーメンズ」を結成。独特の世界観で舞台公演のチケットは即日売り切れるほど人気に。現在はコンビの活動の他にも俳優・タレント業の他、粘土を使った造形作品の展示を行うなど活動の幅は広がっている。二児のパパ。おもちゃ好き。NHK Eテレ「シャキーン!」などに出演中。

「プラモデル」、「トミカ」、ブロック。おもちゃに魅せられた幼少時代

――おもちゃやプラモデル好きの片桐さんですが、子どものころにいちばん遊んだおもちゃはなんですか?

幼稚園のころは組立型のブロックのおもちゃに夢中になって、友達の家で武器を作ったんですよ。『惑星ロボ ダンガードA(エース)』ってアニメが好きで、ロボットに乗っている人が持っているフォーク型の武器をブロックで作ったんですよ(※「コズモアロー」という武器のようです)。自分は満足だったけど、自分のブロックを武器にされた友達は怒っていました。それが最初のおもちゃの記憶です。ブロック遊びは大人になった今も大好きですね。

それからしばらくはブロックで遊んで、その後「超合金」とかに夢中になったんですけど、超合金って高いじゃないですか? 親にあまり買ってもらえなくて、そしたら同じロボットでも、プラモデルは超合金の10分の1くらいの値段だったんです。それでプラモデルが好きになっていきました。

――親にはあまりおもちゃを買ってもらえなかったんですか?

そうですね。“コマ”とか“だるま崩し”とか民芸品みたいなものは家にあったんですけど、そういうのは子どもにとってはつまんないじゃないですか。で、親に「トミカ」をねだりましたね。トミカもなかなか、1年に1回ぐらいしか両親に買ってもらえなくて。で、やっと買ってもらえた「ランチア・ストラトス」の赤いトミカは今も家にあるんですよ。フロントドアのガラスのところが取れてたりしてボロボロなんですけど、うちの息子がいまだにそれで遊んでます。

子どもに受け継がれたトミカ「パワートミカ ランチアストラトスHF」(1/51モデル)子どもに受け継がれたトミカ「パワートミカ ランチアストラトスHF」(1/51モデル)。Photo by Jin Katagiri

「パン屋さん」、「プラモデル」、「ゴッホ」。夢の遍歴

――片桐さんが子どものころになりたかった職業はなんですか?

小さいころはなぜかパン屋さんになりたかったです。うちの実家は和食が多く、パンはたまにしか食べられないんです。うちの小学校は給食がなくて、ずっとお弁当だったんですけど、たまに忙しくてお弁当がない日があったんですよ。そんなとき、「好きなパンをメルヘン(近所のパン屋さんの名前)で買ってきて」と親に言われて、小銭をにぎりしめて買いに行きました。

――パン屋の夢はいつまで続いたんですか?

小学2年生ぐらいのころに、パン屋は辞めようと思って。よくよく考えたら、なりたい理由が分からないってことで(笑)。そのあとは、プラモデル屋とかおもちゃ屋とかになりたかったですね。当時はプラモデルブームでしたから。でも、よく考えたら1年生のころ写生会があって、そこで描いたニワトリの絵が金賞を取ったのをきっかけに、絵が得意なキャラだったな~と。高学年になってからは、いっぱいある夢のなかから、絵描きに統一しました。基本的に『褒められて嬉しい』というのが原動力になっている場合が多いですね。

手にしている粘土作品は市販のドライヤーに恐竜の骸骨風に粘土を重ねた『ドライヤーサウルス』子どものころの夢はパン屋さん! 学生のころの夢はゴッホになること!(手にしている粘土作品は市販のドライヤーに恐竜の骸骨風に粘土を重ねた『ドライヤーサウルス』)

――片桐さんの夢はパン屋から始まって「何かを作ること」という共通点がありますよね。だけど、それらの夢をいったん置いて芸人になるわけですね。

ゴッホのような偉大な絵描きになろうと思って美大に行ったんですけど、そこで今の相方と出会って。それでなぜか芸人になったんですよね。

――美大時代は絵は描いてなかったんですか?

版画を学んでいました。ただ、課題が合わなくてね。じゃあ美術の先生になろうと思って、一応教員免許は持ってるんですよ。教育実習にも行って。だけど、先生同士の派閥とかあるのを見て、自分には向いていないな、と教育実習の初日で思っちゃったんです。

――絵描きの夢はどのぐらい本気だったんですか?

もちろん当時は本気ですよ。ただ版画科の教授が言うには、家が金持ちか50歳を過ぎない限り、なかなか大成しないって。なんか大変だなー、と思っちゃったんですね。今思えば、無茶苦茶片寄った話ですけど。

絵描きを挫折する決定的なエピソードがありまして、学生仲間でチャリティイベントをやったら僕の作品だけ売れ残ってしまったんです。理由ははっきりしていて、僕の絵だけ自画像だったからなんですね。なぜそこで自画像を選んだのか、と思います(笑)。

当時はバブルもはじけたばかりで、美術に対してあまり夢が持てなかったんですよね。今はWEBで作品を発表したりできるけど、当時は画廊を借りてグループ展とかをやるのが発表の場ですね。で、そういうときになぜか同級生からお声がかからなかったりするんですよね。「オレもやりたいんだけど」って言っても「もういっぱいだからダメ」って言われたりして。実際にその友達のグループ展を見ても、なんかむなしかった。今思うと輝くものをもってたり、絵のうまい人も多かったんですけど、当時は「誰がイマドキ絵なんか買うの?」ってむなしい気持ちになっちゃったんです。まあ逃げてたんですね。

ラーメンズ誕生。そして粘土道。

そうこうしているうちに大学の同級生で、後の相方である小林賢太郎に「お笑いやろうよ」って誘われたんですね。相方は早めに美術の世界に見切りをつけていましたから。美大って人数も少ないし、仲間内でコントやったら超ウケるんですよ。とくに僕の代は同学年が30~40人ぐらいしか居なかったから、全体的に空気がまったりしてて。そういう場所でコントとか漫才とかやると、すごくウケるんです。そこで快感を覚えましたね。

――もし相方さんが居なかったら違う職業に就いていたと思いますか?

どうなんでしょうね。当時は映画の美術の人とかに憧れていたので、そういう仕事をやっていたかもしれません。

――子ども時代の夢とか、おもちゃ遊びの経験が大人になった今、活かされていたりしますか?

(目の前の作品を指して)こういうのを作っているのはまさにそうですね。

目の前に置かれた片桐仁さんによる粘土作品目の前に置かれた片桐仁さんによる粘土作品。目の前のカエル『カエルちゃん2011』は、実はiPhoneケース。重そうだし、実際に重い。

――こういう作品はどういうときに『作ろう!』と思うんですか?

やっぱり、(雑誌連載の)締切が迫ってきたときですよね(笑)。美大生のころから課題とか提出せざるを得ない状況に追い込まれないと、作る気になれないんですよ。自分のことをあんまり信用していない、というかね。自分だけで何か作ろうと思うと、とたんになんか面倒くさくなっちゃうんです。誰にも求められてないのに、って(笑)。

――意外ですね! できあがった作品からはとてもそんな風には見えませんが。

作品を作るのはすっごい面倒くさいですよ。このルーペの昆虫なんか、なんで昆虫は6本も足があるんだろうと思ったりね。

作品名「レンゾウムシ」作品名「レンゾウムシ」。実は足は着脱可能。片桐さんは芸人としても芸術家としても“芸が細かい”。

――でも作っているときは楽しいですよね?

すっごく楽しいですね。あと、人から褒められるし。根っことなるモチベーションは『人から褒められる』ですから。本質的には小学生のころにニワトリの絵が金賞を取ったところから何も変わっていない。

――粘土の作品を作っているときと、役者や芸人としてお芝居をしているときはどちらが楽しいですか?

舞台の仕事はお客さんが目の前に居るので、すぐ答えが出るんですね。「ウケた」とか「スベッた」とか。で、粘土作品は現在、雑誌「FRIDAY」で連載していて、その前の連載も入れたら13年間やってるんですけど、ほぼ反応がないんですよ。本も悲しいくらい売れなくて(苦笑)。でも粘土に関しては、世に認められなくてもいいです。勝手にやってるだけですから。だから粘土は趣味、役者やお笑いは仕事、というスタンスなのかな。でも、どちらもすごく楽しくやらせてもらっていて、そういう意味では、ものすごく恵まれていますね。

父親としての片桐仁にせまる

――お子さんは何歳ですか?

男の子が2人で、上の子が8歳、下の子は1歳です。

――お子さんと一緒におもちゃで遊ぶことも多いですか?

雑誌の連載で知った「いえそば」は、今でも家で遊んでます。でも、美味しいそばを打つのは難しいんですよね! あとは、アイスを作れるやつ。アイスとかビスケットとかフルーツを混ぜてオリジナルのアイスをつくるやつ。えーっと、なんでしたっけ?

――『おかしなまぜまぜ エッセルスーパーカップ』ですね。

「NEWいえそば」と「おかしなまぜまぜ エッセルスーパーカップ」片桐さんが今も親子で楽しんでいる「NEWいえそば」と「おかしなまぜまぜ エッセルスーパーカップ」。
スーパーカップの方は、実際に片桐親子が使っているものは一つ前の型です。

それそれ。あとは今のトミカで、光るやつあるじゃないですか。車種がプリウスで。あれ、息子たちに大人気ですよ。(※『テコロジートミカ トヨタプリウス 道路整備車』という商品)。トミカは下の子のほうが好きですね。

話は変わりますけど、上の子の学校の行事で、お父さんの仕事の内容を教えてもらおう、という行事があって。事前に俳優の話をするか、粘土の話をするか、どっちにしましょう? って、先生に聞かれて、じゃあ粘土だ! と。子どもたちの前で粘土を作ってみせたら、すごく喜んでました。でも、本当に子どもたとの人気をかっさらったのは、お菓子メーカーのブルボンに勤めているお父さん。教室でグミを配ったら、大人気でした。

――やっぱりお子さんはカワイイですか?

カワイイというより、ムカつくんですよ。スイミングを習わしたら水泳パンツをなくしたり。プールに行って水泳パンツをなくすって意味がわかんないでしょ。お前、裸で泳いでたのか! と。

――(笑)。子どもはムカつくしカワイイですよね。

片桐仁に聞く、夢の叶え方

夢でもあった自分の創作活動や表現活動を仕事にされた片桐さん。いつも本当に楽しんで仕事や創作に取り組んでいるイメージがありますが、どうやってそのような毎日を手にしたのでしょう? 「『夢を叶えた』なんて紹介されるのはちょっと恥ずかしいな」と照れながらも、夢を現実にする方法について最後に語っていただきました。

「自分はこうだ」って決めつけないことなんじゃないかな、と。僕はどちらかというと流されるまま人生をやってきたんですけど、ところどころでさまざまな人に見出してもらって、今の仕事を続けています。そんな自分なので、オファーが来たときに「これは自分がやるべき仕事じゃないな」という理由で断らずに、人から言われることはとりあえずやってみよう、と思うようにしているんです。無茶なオファーで失敗したって、それはそれで自分自身じゃないですか。

相方に誘われてこの世界に入ったんですけど、そこで誰よりも楽しんでいる僕がいます。それを考えると、何事も楽しんでやるほうが良いんだろうなと思います。仕事の役者は楽しいし、趣味の粘土でも連載を持てているし、家族にも恵まれていますし、僕は本当に恵まれていますね。

――「モッチャ!」も夢を叶えるべく頑張ります! ありがとうございました。

片桐仁さんサイン

information

片桐仁さん主演舞台。

◎主演舞台 ニコルソンズ「グッバイ・エイリアン」
8月8日~12日/渋谷区文化総合センター大和田伝承ホール
8月24日~26日/大阪ABCホール

【リンク】
トミカ公式ホームページ
片桐さんが親からなかなか買ってもらえなかったトミカ、ここにあります。

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