1924年2月2日、創業者富山栄市郎がタカラトミーの前身となる富山玩具製作所を創設しました。第一号商品である「ゼンマイ仕掛けの赤い競走自動車」に続き、当時入手困難だったアルミ地金を素材に「AEROPLANE BREGUET」を製作、「飛行機の富山」として名声を確立します。その後、玩具業界初となる流れ作業方式の工場の設立や玩具研究部門の設置など、次々と業界他社に先駆けた取り組みで事業の拡大を図りました。
昭和恐慌による景気減退で業界が大きな打撃を受ける中、流れ作業方式で大量生産が可能となった「LOOPING PLANE」が大ヒットを記録。本体尾翼に富山玩具製作所製であることを示す製造者マークを印字したことも、当時の業界としては異例のことでした。
この時期には、玩具製造業者の地位向上に向けての業界活動にも尽力し、日本の玩具産業全体の発展に大きく寄与。しかしながらその後、日中戦争が勃発し金属玩具が製造禁止となったことから、木や竹を代用した玩具製作に取り組んでいくことになりました。
この頃から「E.T.CO.」ロゴ・マークを使用
(Eiichiro Tomiyama頭文字)
さらなる戦況の悪化により玩具製作そのものが立ち行かず、終戦までの数年間、玩具製造業者は軍需産業への転身を余儀なくされました。終戦後もしばらくは素材不足が続き、占領軍が廃棄した缶詰を使用した玩具製作が主流で、戦後の第一号商品は二代目允就が手掛けた手のひらサイズの「BABY RACERCAR」でした。
経済統制撤廃等による本格的な事業再開で製作された大型フリクション玩具「B-29」は国内外で大ヒットし、大型玩具輸出の先鞭をつけました。1953年1月17日には三陽工業株式会社として近代企業への道を歩き始め、1959年には創業時からの悲願であった販売会社富山商事株式会社を設立。この頃、玩具業界にも素材・技術革新の波が押し寄せ、金属からプラスチックへ、フリクションから電動へと大きな転換期を迎える中、いち早くオールプラスチック製玩具「スカイピンポン」を発売し、大ヒットに繋げました。
1955年9月17日には、タカラの前身である佐藤ビニール工業所が設立されました。
「くまマーク」商標に
三陽工業株式会社をトミー工業株式会社、富山商事株式会社を株式会社トミーに商号変更。生産高の半分を輸出が占める状況下、生産体制の強化が急務となり、流山、壬生、東京と相次いで国内製造拠点を整備、さらに世界市場での厳しい品質基準をクリアするため、商品検査課を新設し品質保証体制の確立に努めました。また、営業部門内に開発センターを開設することで市場の声を採り入れた商品開発を行いました。
タカラはビニール加工技術を活かしたヒット商品が事業拡大の原動力となり、総合玩具メーカーへと発展していきました。
「くまマーク」から「なかよしマーク」商標変更
日本国内での玩具製造が価格競争力を失いつつある中、トミーはいち早く生産拠点の海外進出を進め、委託生産の香港に続き、シンガポールに初の自社工場を開設。また、米国市場進出を目指しロサンゼルスに生産設備を備えた現地法人を設立し、5年後には新工場が完成しました。創業50周年を迎えた1974年、二代目富山允就が社長に就任。
両社ともに、現在まで続くロングセラー商品を数多く世の中に送り出しました。
トミーは、1980年にHT研究室を設置。共遊玩具の取組みを業界に普及させていきました。70年代後半から80年代前半にかけて米国第4位のメーカーとなるなど好調を維持したものの、1985年のプラザ合意による円高の進行で急速な経営危機に陥り、米国現地法人の売却、国内生産工場の閉鎖など抜本的な改革を実行。翌年、経営体制の刷新により三代目富山幹太郎が社長に就任。1989年には、トミー工業が(株)トミーを吸収合併し、商号を株式会社トミーに変更しました。
タカラは、1984年の店頭公開、1986年の二部上場と順調に成長を続け、1988年には玩具本業経営から複合多角経営へと転換を図り、幅広い層に向けた商品展開を行いました。
CI導入
新ロゴ・マークへ変更「なかよしマークから「TOMYマーク」
プロダクトアウトからマーケットインへ、トミーは新体制で再生への足固めを行ない、玩具・雑貨・マルチメディアの3本柱に注力する「事業の多角化戦略」を発表。キャラクタービジネスへの挑戦や米国ハスブロ社との業務提携など、次々と新たな施策を展開し、1997年には店頭公開、1999年には二部上場を果たしました。
タカラは80年代後半から続く、生活を豊かにするハーティーシリーズの拡大やTVキャラクター商品のヒットなど、積極的な商品展開で1991年には一部市場への指定替えを果たしました。
※商品写真は、じたばたゴマちゃん
※画像は2021年の復刻版です。
トミーは、一部指定を果たした2000年ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパンと包括的ライセンス契約を締結。さらなる成長に向けて、開発子会社の設立やぬいぐるみの企画販売会社、新技術活用のための新会社など、グループとして進化を目指しました。
タカラは2000年、佐藤慶太が社長に就任、拡玩具路線を提唱し、玩具の枠を超えた商品展開を積極的に進め、その企画・マーケティング力を活かし、次々と話題商品を提供し続けました。
2006年、タカラとトミーは互いの強みを最大限に発揮し、世界一の玩具メーカーを目指して合併し、「タカラトミー」が誕生しました。
新ロゴ・マーク変更
新ロゴ・マーク
中核である国内玩具事業の強化、タカラトミーアーツ発足による玩具周辺事業の再編、コンテンツビジネスの拡大、グローバル展開の本格化、ベトナム工場の立ち上げを含む生産基盤や品質管理体制の強化が進められました。
欧州、北米において海外版TOMICAを投入、「メタルファイト ベイブレード」は、TVアニメの放送とともに全世界での展開も開始し、国際大会が実施されるほど海外展開も加速。2011年には米国玩具メーカーRC2(現TOMY Internationalグループ)を買収し、グローバル展開へのプラットフォームを確立。真のグローバルトイカンパニーを目指して、タカラトミーグループ一丸となって動き出しました。
世界中に混乱をもたらした新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の蔓延により、業務効率の見直しや様々な人事制度の整備が進められ、働き方改革が加速。
2024年2月2日、当社は創業100周年を迎え、6月には富山彰夫が社長に就任しました。新たに策定された「中長期経営戦略2030」の実現により、総合アソビメーカーを目指します。