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対峙

今日は約束の日。ひとえは歩きながら空を見上げた。せっかく久しぶりにるう子たちと会えるというのに、どんよりと重たい雲が広がっている。降水確率は意外と10%しかなかったが、念のためカバンに折り畳み傘を入れてきた。
待ち合わせ場所は駅前の大きなモニターの下だ。時間には余裕があるが、気持ちが急いているからか、無意識のうちに足早になっている。少し緊張しているような気もするが、楽しみの方が大きい。思わずその気持ちが表情に出てしまいそうになり、ひとえは慌てて手で口元を隠した。

『コンプレックスも悩みも、アクリアぜーんぶ消しちゃう!あきらぶり~♪』
聞き覚えのある声とともに、今では女社長として化粧品をプロデュースしているあきらの姿が、モニターに映し出されている。中学の――セレクターバトルの頃は、完全にあきらにおびえていた。できるだけ関わりたくないのに、逃げることができずに……。
しかし、セレクターバトルが終わって少し経った頃から、あきらはまるで昔から仲の良かった友達のように、ひとえたちに接してくるようになった。攻撃的な気持ちさえなければ、持ち前の人懐っこさが全面に出てくるのだろう。あきらのしたことに対して、『絶対に許せない』と思っていたはずなのに、気が付けばあきらのペースにのまれていた。
るう子も同じような感覚だったようで、「ひとえがいいなら……」と、次第にあきらを受け入れるようになった。
今では素直に、「社長なんてすごいな」と、むしろ尊敬しているほどである。

あきらの映るモニターから目線を下すと、るう子とタマの姿があった。ひとえは、斜め掛けしたカバンの紐をきゅっと握り、小走りで駆け寄る。

「お待たせ、るう子……わあ、タマも。元気だった?」

――『元気か』と聞いたのは間違いだったかもしれない。作った笑顔――ひとえの目には、るう子もタマも、どこかむりに返事をしているように見えた。今はふたりで暮らしているはずだが、なにかうまくいっていないのだろうか。
一瞬、踏み込んで聞いてみたほうがいいかとも思ったが、会って突然というのは適したタイミングではない。そもそもこの場で聞いてほしくはないかもしれない……そう思い、ひとえは言葉を飲み込む。

「じゃあ、ショップに向かおうか――!」

道中は、他愛のない話をしながら歩く。るう子の仕事の話、自分の生活の話、タマの料理やゲームの話――。

「ひとえの“歯科衛生士”って、なにをするひとなの?歯医者さんって、どんなところ?」
歯医者やほかの病院にかかったことがないタマにとって、ひとえの仕事はなかなかイメージがつかないらしい。特に歯医者は、テレビドラマなどで病院をテーマにしたものがあったとしても、取り上げられない部類ではある。
「歯医者はね、タマ……おそろしいところだよ」
るう子が歯をくいしばり、「いーっ」と威嚇するような険しい表情をしてみせる。
「ちょっとるう子、そんな言い方しないでよ~」
実際に病院――歯医者は特に、嫌われがちだとは思う。治療に痛みを伴うことも多いし、金属音が苦手だという声をよく聞く。ひとえとしては、あの清潔感のある空間やにおいが割と好きなのだが……。

「もしタマが虫歯になったら、うちにおいで!先生も優しいし、怖くないから」
「そうする!」
――そもそもタマは虫歯になるのか、わからないけれど……ひとえはそう思いつつ、あまり込み入った話にはならないように、話題を締めくくった。


閉店間際のショップは、どこか寂しい空気が漂っている感じがした。すでにちよりとあきらがいてウィクロスでバトルをしていたが、その一角を除けば昔のような活気がない。商品もだいぶ少なくなっている。

みんなで集まって話していると、女の子の店員から、デッキを渡された。閉店するからとはいえ、デッキごともらうとは思っておらず、るう子たちと一緒に驚きながら中身を見る――。

「きゃああっ!?」
その瞬間、ひとえは思わず悲鳴を上げた。カードに自分の姿が描かれていたからである。どういうことなのか理解ができないまま、ふっと意識が遠のく――。

次に気が付いたときには、先ほどまでいたカードショップとは確実に別の場所にいた。
「ここは……」
知らない場所――ではない。ここと同じようなところに、ひとえは立ったことがある。ただし、別の立場で。

「――久しぶり、ひとえ」
ひとえがあたりを見回していると、後ろ……正しくは頭のもっと上のあたりから、もう何年も聞いていなかった声が響いた。
ひとえの体に緊張が走り、そして、この『まさか』の状況を察する――。

「どうしてひとえが、ルリグになっているの?僕を“ここ”に呼んだのは、ひとえ?」

ひとえはゆっくりと振り返る。胸の前で握った手には、自然と力がこもってしまう。

「みど、り……」
とりあえずこの状況になった経緯を説明した方がよいだろうとは思いつつ、スムーズに言葉が出てこない。

「あ、あの――」
なんとか声を絞り出そうとしたとき、緑が手を前に出してそれを制した。目線がひとえを通り越して、その先に現れた人物の姿を捉えている。

「バトルが始まるみたいだ。話はあとにしようか」
いつの間にかバトルフィールドの対岸に立っていたセレクターの女の子とルリグ。絶対に倒してやるといわんばかりの表情で、ひとえと緑の方を睨みつけている。
ひとえはルリグとして戦うことに緊張を覚えつつも、やるしかない状況に、なんとか逃げずに覚悟を決めた。
『緑がセレクターなんだし、大丈夫だよね』


「ひとえ、ルリグにアタックして!」
「は、はいっ……!」
緑の指示を受け、言われる通りに動いていく。相手の行動に合わせて、その時できる防御と攻撃を繰り返し――きっと緑の考えていることだから、間違いはないのだと思う。でも、どういう想いで今戦っているのかは、伝わってこない……。セレクターとルリグは――緑と自分は……前もこんな関係だっただろうか?

『突然不思議なこの現象に巻き込まれて、怒っている?』
『久しぶりに再会して、困っている?』
『ルリグとなった私と一緒に組むこと、嫌じゃない?』
ひとえの中にネガティブな疑問が次々に沸き起こってくる。

この状況になった原因は、自分ではない――はやく緑に説明しなくては、と焦る。
「緑、今日、実はカードショップでね――」
はじめのバトルにかろうじて勝ったあと、バトルフィールドは閉じられ、見覚えのある街並みに変わった。ただし、全体的に色褪せているような感じがする。
ひとえはすぐに、カードの中から緑に呼びかけた。

「そっか……ひとえたちがルリグとして描かれたカードを渡してきた店員……彼女がなにか企んでいるのかもしれないね」
話を聞いた緑がそう解釈してくれて、ひとえはほっとした。
「ご、ごめんね……なぜか緑も巻き込まれることになっちゃって……」
「大丈夫だよ。きっと僕も呼ばれる必要があった――そういうことなんだと思う」

カードショップにいて、デッキを受け取ったのは、るう子、ちより、あきら、ひとえの4人。タマ用のデッキはなかったように思う。そこから考えると4人ともルリグになっていて、それぞれのセレクターバトル当時のパートナーがセレクターになっているのだろうか?

ひとえと緑以外の3組は、最近でも会ったり一緒に行動していたりすると聞いている。ということは、久しぶりに会うのは自分たちだけだ。しかも、あんな――緑から拒否をされたような形で連絡を絶ったあとに。

「ねぇねぇあなた、セレクター?」
――この状況についてゆっくり考える時間もなく、次のバトル相手が現れたようだ。

緑がうなずき、またバトルフィールドが開いた。
ぎこちなさを感じたまま、なにかに追われるようにしてバトルを進めていく。


そのあとも何度かセレクターバトルをこなしていった。他にはなにもできることはなく、この街並みは本物ではないとわかる。店などには入れず、すれ違う人は表情がよく見えない。

「ひとえ、連戦してるけど大丈夫?疲れてない?」
緑が様子をうかがってくれる。確かに、セレクターのときとはまた違った疲労感があるように思う。簡単に言えば、脳が疲れるか、身体が疲れるか、という違いだろうか。エネルギーを使っている感覚である。
「うん、大丈夫だよ。少しだけで……そこまでじゃないから」
「そっか、ならよかった」


「「…………」」


「あ、えっと……」
実質、ひとえと緑のふたりだけの空間。バトル中はなんとかなるものの、バトルが終わると気まずさを感じて会話に困ってしまう。どうにか間を持たせるために、ひとえは話題を探す。

「緑は、最近どうしてた?私……私は、歯科衛生士として働いてるんだよ」

かつて、緑がアドバイスをくれたからこそ見つけられた、未来の道。重たく思われてしまうかもしてないが、叶えたからこそ、やはり報告をしたかった。

「そうなんだ。ひとえ、がんばったんだね」
「うん……!」

緑の言葉に、思わず胸が詰まる。

「本当は……無責任なことを言っちゃったんじゃないかなって、気にしてたんだ。ひとえの人生なのに」
「そんなこと……!」

緑に対して感謝こそすれ、責める気持ちなんて全くなかった。

「確かにきっかけは緑の言葉だったけど、決めたのはちゃんと自分の意志だよ。じゃなかったら、短大を受験して国家資格を取る前に、くじけちゃっていたと思うし」
「そっか」

緑は眉尻を下げ、優しそうに微笑む。

「今では名前をおぼえてくれる患者さんがいたり、後輩に仕事を教えたり、結構さまになっていると思う」

自信をもって仕事に臨むことができている自分は、少し不思議でもある。昔は知らない人と話すことも怖くて、おどおどしてしまっていたのに。

「へぇ。すごいね。やっぱり、緑ならできると思ってたんだ。僕の目に、狂いはなかったね」
緑が認めてくれて、心から嬉しい。

「もし次に歯医者にかかることがあったら、ぜひ当院にどうぞ~」
突然接客モードになるひとえに、緑はくしゃっと表情を崩して笑った。
「あはは。でも、知り合いに口の中見られるの、少し恥ずかしいな~」
「ふふ。やっぱり、そういうものかな?」

お互いに笑い合い、今日再会してから一番穏やかな空気に包まれたように感じる。もう一生失ったままかと思っていた、この感覚。
会えなかった間も、緑は緑のままで、その優しさや誠実さは変わっていなかった。
『うれしい……』
ひとえは目に涙がたまりそうになり、とっさに緑に背を向けた。

「ひとえ?どうし――」

『す、すみません……バトル、お願いできますか……?』
緑がひとえの様子をうかがおうとしたとき、次のバトルを持ち掛けられた。

「君は――」
中学の制服に身を包んだ、ひとえだ。

「え……私……?どうして……」
「ここは、過去が表現された場所だったのか――。あの子が過去のひとえなら、ルリグは……僕――」

自分と戦うなんて、少し怖い。

「ね、ねぇ……これってどういうことなの?あなたは……?」
『どういうことって……私は願いを叶えるために、バトルをしなくちゃいけなくて、それで……あなたを見つけたから――』
『ひとえ、むりして話さなくてもいいよ。僕たちはセレクターバトルをして――勝てばいいんだ』

「向こうは僕たちのことを“自分”だと認識していないのか……?」
姿は見えているはずなのに、ただのセレクターとルリグとしてしか接していないようだ。

「緑……過去の自分と戦って、私たち大丈夫なのかな?も、もし、負けちゃったらなにかよくないことが起こるとか――」

この異様な出来事に、ひとえは不安になる。目の前に自分がいて、さらにセレクターバトルをしろと言っている。あの、3回負けたら願いが逆転する、おそろしいバトルを――。

「わからない……けど、逆に自分と戦わなければ、この現象から抜け出せない可能性もあるよ。ゲームで例えるなら……ボス戦っていうところなのかもしれない」
「で、でも……」

ここまでのバトルを振り返り、ひとえは内心、過去の自分たちに勝てないのではないかと思ってしまった。特に強いと思わなかった相手にも、ギリギリのところでかろうじて勝ってきたからである。
当時は、日ごろからるう子や遊月とウィクロスで遊んでいたし、パートナーとして緑との信頼関係が築けていた。しかし、さっきまでのバトルは――心が通じ合っているとは言えない状態だった。

「――大丈夫だよ、ひとえ。僕がなんとかする」
「緑……」
「ひとえの持つスキルや性質も十分理解したし、ちゃんと活かして戦えるから――」

そう話している間に、バトルが始まった。対岸のルリグ位置にいる緑子は、攻撃を受けて傷つきながらも、ひとえに「大丈夫」「心配しないで」と声をかけて安心させようとしている。

ああ、そうだ――緑はいつでも、過去でも今でも、“ちゃんと”優しい。私の心が直接傷つかないように、あたたかいもので包みこんでくれていた。たとえ代わりに、自分が傷つこうとも。

あの『ボクがいないほうが幸せになれるよ』という言葉も、きっと私のために言ってくれていた――。
――その瞳に私……甘えてばかりだ。守られてばかりだったんだ……。

今はルリグとして、自分が緑の力にならなくては。たとえつらくても怖くても、踏み込む覚悟を持たなければ。
そのために、まずはあの時に気が付きながらも蓋をして、受け止めるのをやめた気持ちにも、向き合う――。

「緑、聞いて。あのね、私……緑のことが、好き。好きだった――!」

ひとえの表情は、いつになく自信に満ち、力強い。緑の目をしっかりと捉え、逸らさない。言葉と目で、すべてを緑に伝えようという気迫を感じる。

「私、もっといけるから――痛くても、傷ついても大丈夫だから!ちゃんと一緒に、戦おう!」

改めて過去の自分の方向に向き直ったひとえは、攻撃態勢に入る。

「ひとえ……」

ひとえがそんなことを言ってくれるとは、思ってもいなかった。緑にとって、その覚悟はとても嬉しいものだ。今までは、ひとえのことを心配しすぎてしまっていたのかもしれない。傷ついてほしくなかったし、傷つくところを見たくなかった。
だからこそ、自分から遠ざけるべきだと思ったのだ。自分に執着せず、広い世界に触れるように導いてあげなければ、ひとえはダメになってしまうのではないか――。そう思っていた。
しかしひとえは、殻を破り、恐れずに立ち向かうことができる女性なのだ。今なら、ひとえの気持ちから目を逸らさずにいられる。結局怖がっていたのは、自分自身だったのかもしれない。

「ありがとう――」

ひとえはもうこちらを見ていない。今なら涙をこぼしても見られないが、ひとえがこらえているのに、自分が耐えないわけにはいかない。
ふぅ、と息を吐いてから、ひとえを中心に広がる盤面に集中する。

「ひとえ、“緑子”の攻撃は結構痛いと思うんだけど――受けきれるかな」
「万全な状態でフルパワーになられないように、前もって少しずつ削っておきたいかも……ただ……」
「ただ?」
「当時の“ひとえ”は、緑子の能力に頼っているから、自ら危ない戦法はとってこないと思う――」
「なるほど」
「だったら、裏をかくような、大胆な作戦も有効かもしれない」
「わかった。それなら、これとこれで――」

緑はイメージする。
ある程度の間違いのない自信のある展開、さらにキーとなるのが乱数としての、ひとえの覚悟と勇気。これがルリグとセレクターが、『ふたりで戦う』ということだろうか。

ひとえと緑は、過去の自分たちを目の前に、もう臆することはない。

「じゃあ、いこうか。僕の大切な相棒――!」


ひとえが再び目を覚ますと、カードショップに戻っていた。

「なんだったんだろう……」
相手の緑子のライフを削り切り、『勝った……!』と思った瞬間には、もう意識が飛んでいた。

テーブルに散らばったカードを見ると、まだちよりとあきらがカードの中にいた。今、同じように過去の自分たちと戦っているのかもしれない。
るう子とタマの姿はなく――もうあの空間から出て、帰ってしまったのだろうか。
結局なんのための空間だったのか、また今度聞いてみよう。


最後、緑と話はできなかったが、別にもう会えないというわけではない。チャンスがあれば、また連絡をとることもできるだろうし、今はこれでいい気がする。
『緑のことが好きだったという自分の気持ち』に向き合い、受け入れたことで、とてもすがすがしい気持ちだ。
「……わからないフリしてたんだ」
漏れた10年の後悔に一歩を踏み出すと、ショップの自動ドアが開く。
曇っていた空は、もうすっかり快晴に変わっている。

「折り畳み傘、いらなかったな」

ひとえはそうつぶやくと、笑顔で歩き始める。そのまま帰宅するには、まだ少し時間が早い。
新しい服でも買いに行こうか。今まで着たことのない色やテイストのものを試着してみるのも、いいかもしれない――。



おわり

タカラトミーモール